平成14年5月26日開催!東京龍馬会 第31回:史跡探訪「江戸山手と河岸の風景 ー麻布から隅田川へー」

2002年5月26日

有栖川宮記念公園(有栖川宮熾仁親王銅像)⇒善福寺(最初の米国公使館の碑・福沢諭吉の墓)⇒麻布一の橋公園(清川八郎暗殺現場)都営地下鉄新宿線「麻布十番駅」~「築地市場駅」⇒浜離宮庭園 昼食⇒将軍御上がりの場水上バス 「浜離宮」~「浅草」⇒吾妻橋⇒隅田公園(旧水戸藩下屋敷跡碑・藤田東湖の碑・勝海舟の碑)⇒牛島神社(毛利元徳の碑)⇒すみだ郷土文化資料館言問橋⇒東武浅草駅前

有栖川宮記念公園

有栖川宮記念公園

江戸時代は奥州盛岡藩20万石麻布一本松の下屋敷であった。 明治29(1896)年に藩邸跡が旧「有栖川宮」家御用地となり、大正2(1913)年「高松宮」家に引き継がれ、 昭和9(1934)年当時の東京市に寄付されて一般に公開され現在に至る。
ちなみに幕末の盛岡藩は奥羽越列藩同盟の一員として東征軍に激しく抵抗した。幕末ゆかりの人では、佐幕派の家老・楢山佐渡隆吉、藩蘭医で反射炉や溶鉱炉を築いた大島高任行実、親露の立場から開国論を主張した大槻盤渓、新撰組に入隊した吉村寛一郎などがある。

 

有栖川宮熾仁親王銅像

有栖川宮熾仁親王銅像

天保6(1835)年~明治28(1895)年。有栖川宮家第9代当主。和宮親子内親王と一時婚約するものの将軍家降嫁のため解消し、水戸徳川家の茂姫を 王妃に迎える。王政復古宣言時は政治総裁、戊辰戦争・西南戦争時は征討大総督を務める。明治に入って華族会館初代館長、元老院議官・議長、陸軍大将、左大 臣などを務める。日清戦争では陸・海軍の総参謀長を務めて広島の大本営で指揮していたが病気のため帰京、戦争終結前に亡くなる。
銅像は明治36(1895)年、旧参謀本部(千代田区三宅坂)に建立され、昭和37(1962)年に現在地に移された。

 

最初の米国公使館跡の碑

最初の米国公使館跡の碑(善福寺内)

善福寺は天長9(832)年、弘法大師の開創といわれる古刹で、幕末は十寺の子院を有し 交通の要所に位置していた。 安政6(1859)年5月27日、下田にいた米国総領事タウンゼント・ハリスが公使に昇格し、米国大統領の新書を直接将軍に手渡したいと江戸に出府してき た時の滞在先として寺社奉行から6月7日に指定された。ハリス、ヒュースケンなど20名が滞在したため、公使館警護の侍が付いて出入りを厳しくしたため参 詣人が著しく減少した。このため寺は幕府に救済の嘆願を再三行っている。
明治8(1875)年12月、築地に新公使館ができるまで使用された。福沢諭吉の墓も本寺にある。

 

麻布一の橋公園

麻布一の橋公園(から見た一の橋)

清川八郎の暗殺現場。清川八郎は天保元年(1830)年出羽出身。 北辰一刀流玄武館で大目録皆伝まで修め、ヒュースケン暗殺、新撰組結成などに係わる。文久3(1863)年京都から江戸に呼び戻された清川は、攘夷実行の 打ち合わせのため寄宿先の山岡鉄太郎邸を出て、出羽上山藩邸内にいた同志金子与三郎を訪ねた。その帰途、鉄扇を片手に川沿いを歩いてこの橋のたもとに来た 時、元浪士隊の幕臣・佐々木只三郎高城に呼びとめられた。佐々木が挨拶の素振りをみせたので、自分も笠をとり挨拶しようとした瞬間、背後から速見又四郎に 斬りつけられた。鉄扇を右手に持っていたので剣を抜けなかった。清川は「残念」と叫んで息絶えたと伝わる。

 

将軍御上がりの場

将軍御上がりの場(浜離宮恩賜庭園)

慶応4(1868)年1月12日、鳥羽・伏見の戦いに敗れた徳川慶喜一行が軍艦・開陽丸に乗って大阪から帰って来た時の上陸地。 この時、幕吏の連絡で海軍局に駆けつけてきた勝海舟が慶喜一行を怒鳴りつけたという(海舟座談)。

 

藤田東湖「正気之歌」詩碑

藤田東湖「正気之歌」詩碑(隅田公園内)

文化3(1806)年~安政2(1855)年。水戸第9代藩主・徳川斉昭の側用人。幕府の斉昭への隠居謹慎処分に対し解除を要求したことが咎められ蟄居処 分を受ける。弘化2(1845)年2月に藩邸の長屋に幽閉され、家禄・役宅没収、面会謝絶になった。この時に詠んだの「正気の歌」であり、中国南宋末期の 忠臣・文天祥の「正気之歌」を手本に、 日本精神に立脚した「神州の正気論」の立場から忠臣義子の道、国体意識の発揚を高唱している。文天祥が元軍に捕らわれ獄中生活を送っていた事に、自分の幽 閉生活を重ねあわせて作ったといわれ、後に志士達に愛唱された。
翌年12月に蟄居は解除され、嘉永6(1853)年、斉昭の海防参与就任に伴い、海防御用係となる。安政の大地震の際、小石川上屋敷内長屋で母親を庇い圧死。享年50歳。

 

すみだ郷土文化資料館

すみだ郷土文化資料館

隅田川を中心として墨田区の歴史・伝統文化を紹介し、残された遺産を継承していくことを目的とした ユニークな「ふるさと博物館」。豊富な実物資料をそろえ「模型」「パネル」「マルチメディア」を利用して 「ふれあい楽しむ」立体的趣向が楽しめる。

 

言問橋から見えた虹

言問橋から見えた虹

関東大震災後の復興事業で架けた橋で、昭和3(1928)年に完成。吾妻橋のすぐ上流にあり、文京区の本郷方面から来る言問通りが隅田川を渡る時に通る橋。橋の名前は在原業行の「いざ 言問わん都鳥」和歌から。
すみだ郷土文化資料館のすぐ近くで、資料館に入った時には降っていた雨がほぼ止んで、きれいな虹が見えました。

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